旧車 絶版車/日産/ガゼール/2000RS/US110型/昭和58年式/(同型車次回入庫予想)予想不可能!


■メーカー名日産■車名ガゼール■グレード2000RS■年式昭和58年式■走行距離132000キロ■車検有効期限 ■ボディタイプ2ドアクーペ■色純正ブラックツートン■修復歴なし■整備記録簿 ■所有者履歴 ■ミッションフロア5速■排気量2000cc ガソリン■乗車定員5人乗名■型式E-US110■装備エアコン・パワステ・パワーウィンドゥ・ワタナベアルミホイール・レカロシート・MOMOステアリング社外マフラー ■昭和58年の出来事 ◎ソ達機が大韓航空機を撃墜。 ◎戸塚ヨットスクール事件。 ◎日本海中部地震。 ◎「金曜日の妻たちへ」。「積み木くずし」。「オールナイトフジ」。 ◎「おしん」国民的番組に。 ◎映画「戦場のメリークリスマス」。 ◎唐十郎「佐川君からの手紙」。 ◎東京ディズニーラントが開園。 ◎カレン・カーペンター、32歳で死去。 ◎青木功ハワイアン・オープン優勝。 ◎沖雅也自殺。 ◎愛人バンク「夕ぐれ族」事件。 body,td,th {font-size: 12px;}.g12 {font-size: 12px;color: #7D7D7D;}【 希少度満点! 】この車を語るには、まず「シルビア」について語らねばならないだろう。昭和39年の「東京モーターショー」に1台のライトウェイトスポーツが参考出品された。開発ネームは「ダットサン・クーペ1500」。美しい直線のシルエットもそのままに、翌昭和40年4月に市販化。  ドイツ人デザイナー「ゲルツ」のボディをダットサンフェアレディSP311のシャーシに搭載。ボルトオンでは、うまくいかず、部分部分を板金職人の手作りによる、セミハンドメイド式が採用された。 ちなみにその時の板金を請け負ったのは、現在メリーゴーランドなどの製作会社である、「トノックス」(当時は、殿岡製作所)であった。機関的にも、デザイン的にも評判を得たが、当時の日本において、スペシャリティカーという分野が確立しておらず、ましてハンドメイドからくる高額な本体価格も相俟って、商業的には昭和43年までの3年間で554台のみの生産に終わり、絶版になる。7年後の昭和50年、2代目シルビアが突如復活。ロータリーエンジン搭載かと騒いだが、結局210サニーをベースにL18型を搭載。ごくごく大人しいクーペとなった。デザインも「円盤」などと言われる特殊なもので、ユーザーから受け入れられず、商業的には失敗作に終わる。(だからこそ、旧車として希少なのだが・・) 4年後の昭和54年、3代目の110型が登場。と同時に、販売店を異にする初代「ガゼール」が、兄弟車として登場。シルビアより、やや高級感を醸し出した。110シルビア・ガゼールは、1800、2000ccのZ型エンジンを搭載していたが、晩期にはスカイラインRSと共通のFJ20型ツインカムエンジン搭載の「RS」が、ラインナップに加わった。   さて、現車を見てみよう。初代ガゼール最終期の、しかも貴重な「RS」だ。フェアレディZの「マンハッタンカラー」よろしく、黒と銀のツートンは、走りをイメージするには、必要充分。ガゼールは・・・そして「RS」は・・・いったい何台現存しているだろうか?そんなことを思いつつ操る感覚は、Z型エンジンとは、全く異なる性格のFJ20をして、ややピーキーめ。110型の人気は、かなり太いタイヤでも納まり、全体のバランスが取れることから、当時から若者の人気を集めていた。  兄弟車とは言え、日産サニー店の看板車に近いポジションだった「シルビア」と、セドリック・ローレルをメインとした日産モーター店の「シルビアの兄弟車」としての「ガゼール」では、おのずと販売台数にも天地の開きがあり、ガゼールの存在は、現在あまり知られていない。   唯一、ドラマ「西部警察」の劇中において、石原裕次郎演じる木暮課長が、 自動車電話( 当時たまげるほどの新技術)を搭載する、ガゼールのオープンカーに乗っていた ことくらいだろうか。だからこその「希少度」と言えよう。ガゼールは、次代S12型まで存在したが、マイナーチェンジによってシルビアと統合され、たった7年間で絶版となり、名を消した。
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